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被爆後の銭座小学校

Background

女性70代 階段写真は1947(昭和22)年の入学当時の写真、当時銭座小学校は校舎が全焼したこともあり、周辺の学校の校舎を借りて授業が行われていました。もう一枚の写真は翌年の1948(昭和23)年に撮影されたもので、銭座小学校の校庭で撮影されました。

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男性20代 銭座小学校では約500人が原爆によって亡くなくなりました。木造校舎は全焼し、コンクリート校舎も内部が全焼。1945年10月に他の学校の校舎を借りて再開し、もとの校地に戻ったのは1948年1月でした。スライド教材「被爆後の長崎の日常 浦上の暮らし」は被爆後に銭座小学校に通う物語を掲載しています。

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