被爆前の長崎の日常 戦時中の学校生活

概要

原爆投下前の学校の様子や友達とのやりとり、戦争が激しさをますなかでどのように学校生活が変わっていったのかについて、旧制中学校(現在の中学・高校に相当)の生徒だった城﨑さんの写真とインタビューをもとに作成しました。ミッションスクールである鎮西学院中学校では、戦争が激しさを増すまでは外国人宣教師も教鞭に立っていました。そんな長崎ならではの当時の学校生活について知ることができます。

城﨑尚道さん

城﨑 尚道(じょうざき ひさみち)さん

1 9 2 8 年生まれ。1 7 歳のとき、爆心地から約1 . 2 キロの茂里町の三菱兵器工場で被爆した。当時は鎮西学院中学校の付設科2年生。勤労動員として三菱兵器茂里町工場第三仕上げ工場で、魚雷の組立作業やハンダメッキ、部品工作などの仕事をしていた。

鎮西学院中学校

被爆前の鎮西学院中学校校舎 提供:学校法人 鎮西学院

「私は1940(昭和15)年、旧制鎮西学院中学校に入学しました。私たち家族は私立に行くような家庭でも、クリスチャン(キリスト教徒)でもありませんでしたが、親戚が鎮西の配属将校だったので、そのつながりで兄と揃って鎮西に入れたんです。」

当時の旧制中学校は5年制だったため、今の中学生から高校生の年齢に当たる。鎮西学院はキリスト教ミッションスクール。1881(明治14)年に創立し、写真の場所に1930(昭和5)年に移転。原爆投下後、諫早市に移転した。


被爆後の鎮西学院中学校 長崎原爆資料館 所蔵

当時の生徒たち

クラスメイトとの写真、右端上から2人目が城﨑さん 提供 学校法人 鎮西学院

「家から学校までは距離があったので、毎日路面電車で通いました。電車は諏訪神社の前ば通るとですが、通り過ぎる最中はどの学校の生徒も車内で帽子を取ってピシッとおじぎし、大人たちも頭を下げました。神聖な場を通る時にはおじぎをする、そんな空気があの当時にはありました。」

城﨑さんは長崎市の片淵町で育った。家の周りには畑が広がり、大家さんは農家だった。おすそ分けでもらった作物で、母がよく赤かぶ漬けを作っていた。その後、一家は鎮西学院に近い、稲佐町に引っ越した。

ミッションスクール

1943(昭和18)年ごろ 学校内道場 右前で寝転んでいるのが城﨑さん

「鎮西はミッションスクールだったので毎朝、生徒全員が講堂に集まりお祈りをする礼拝の時間がありました。礼拝のときにはみんな雑念なく素直に「アーメン」と唱えるんです。でも、教室に戻る通路で、友だちと『アーメン、ソーメン』なんてコソコソ言ってふざけて笑ったりしてましたね。」

鎮西学院の校史によると、戦時中軍部などからキリスト教教育に圧力が行われた最中も礼拝は行われた。しかし、戦況の変化とともに、圧力も次第に激しくなり、1944(昭和19)年、礼拝は中止に追い込まれた。

英語の勉強

1943(昭和18)年ごろ 学校内教室 右から3番目に映るのが城﨑さん

「学校では英語の授業もあって、単語を覚えるために文具店でカードを買い、表に英単語、裏に日本語を書いて勉強しました。私が入学した頃はアメリカ人の宣教師もいました。だから『鬼畜米英』の風潮が強まったときも、そうは思いませんでし、占領下では英語で米兵とコミュニケーションが取れるから重宝されましたよ。」

『英語は敵性語』と言われた時代だが、鎮西学院では戦時中も英語の授業があった。城﨑さんが入学したころ、宣教師として来日した米国人も教壇に立っていたが、日米関係の悪化で帰国を余儀なくされた。

軍事教練

(時期不明)軍事教練時の写真 提供:学校法人 鎮西学院

「課外学習といえば遠足ですけど、あのころはそれも訓練。今ではゴルフ場になったような広か場所にみんなで行って、戦地に見立てた訓練もありました。散開して、走って、『伏せー!』と命令がかかるとバタッと地面に伏せての練習を繰り返して、指導はきつかったですよ。」

軍事教練は、訓練を通じた兵力確保という側面にとどまらず、生徒に対する思想対策の施策でもあった。学校は、今のように自由に学問を学ぶための場ではなく、軍国主義思想を浸透させる役割を担っていた。日本の敗戦後、軍事教練は廃止された。

グライダー訓練

1943(昭和19)年ごろ(学校校舎前) グライダーの前でポーズを取る城﨑さんの友だち

「学校ではグライダーを使った訓練もありました。原理は単純で機体を太かゴムで引っ張って飛ばすんです。学校のグラウンドで飛ばす程度なので、1メートルぐらいフワッと上げてすぐ降下させました。私は身長が足りず乗りませんでしたが、予科練に行く友人たちが交代で練習しました。」

グライダーは飛行機の基礎を学ばせるため軍から渡された。これに乗って飛行の基礎を学んだ後、優秀で体格の良い生徒が陸軍飛行学校や予科練(海軍飛行予科練習生)に進んだ。

真珠湾攻撃の日

1943~44(昭和18~19)年ごろ予科練へ進んだ城﨑さんの友人

「真珠湾攻撃の日(1941年12月8日)のラジオ放送は覚えています。私たちは、アメリカがどれだけ大きな国か学校でも習っていてよく知ってましたからね。たとえ鬼畜米英と思っていなくても、『日本が勝った』と聞くと、やっぱりうれしかったですよ。」

城﨑さんの在学期間は戦争が激しさを増す時期。鎮西学院に入学した1940(昭和15)年、日本は日中戦争の最中だった。翌年12月には、ハワイの真珠湾を攻撃するなどして太平洋戦争に突入した。

友人の送別会

1943〜44(昭和18〜19)年ごろ 予科練に入隊する友だちの送別会 ※ Photoshopニューラルフィルター機能を用いてAIによるカラー化をしたもの

「4、5年生のころから、予科練や陸軍特別幹部候補生に志願して学校を離れる友人もいました。入隊前には友人宅に集まってささやかな送別会を開いたり、日の丸に寄せ書きをして贈ったりしてね。当時は“頑張ってこい”ってみんなで励ます気持ちで、別に悲しいとは思ってなかったです。」

鎮西学院では、1943(昭和18)年ごろから軍が学校を訪れ、志願者を募った。入隊した生徒の中には、特攻で命を落とした者もいた。

学徒動員

被爆後の三菱長崎造船所幸町・茂里町工場一帯 提供:長崎原爆資料館

1942(昭和17)年頃までは学校ものんびりしていて、昼休みも遊んでいたぐらいでした。ところが翌年から学徒動員が始まって、授業の代わりに兵器工場で働かされるようになりました。私の仕事場は工場で魚雷部品の電気メッキ。職員の人たちは厳しかったですが、案外私はこの作業が得意で、色んなことを任されました。

このころ、働き盛りの男性が次々に徴兵されたため、各地の工場や鉱山、農村では深刻な労働力不足に陥った。これを補うため、生徒らが勉強を止めて送り込まれ、働かされた。城﨑さんは三菱長崎兵器茂里町工場の第3仕上げ工場で働いた。

8月9日

被爆後、三菱長崎兵器製作所茂里町工場仕上工場内部 提供:長崎原爆資料館

「8月9日、原爆が炸裂したときは工場内にいました。明かり取りの窓から青白い光がパーッと入ってきて『高圧線がショートしたかな』と思ったら、次の瞬間には建物がガーッと崩れてきて。写真の場所がおそらく私の職場です。コンクリートの塊が頭や背中に当たりましたが、奇跡的に大きなけがはせずに済みました。」

城﨑さんは「私が助かったのは運が良かったのでしょう」と振り返る。原爆によって工場は全壊半焼し、多くの工員や動員学徒らが被爆死した。鎮西学院中学校では校内や工場などの動員先で職員・生徒約140人が亡くなった。

メッセージ

「私の同級生のなかには、予科練などに行った友人もいました。当時の時代状況から考えれば、戦地に行くことは名誉なことです。ただ、当時であっても我が子を戦地に送る親たちの本音はきっと不安でいっぱいだったろうと思います。写真を通じて、原爆で犠牲になった人が生きていた時の様子、生き残った私たちの気持ちまで感じ取ってもらえたら嬉しいです。」

「被爆前の長崎の日常 戦時中の学生の暮らし」
教材作成:林田 光弘( R E C N A 特任研究員) / 佐々木 亮(ライター)
写真提供:城﨑尚道 / 学校法人鎮西学院 / 長崎原爆資料館
デザイン:大久保舞花

参考文献・WEBサイト

文献

  • 長崎原爆資料館 編(2006)『長崎原爆戦災誌』第1巻・第2巻・第3巻,第長崎市
  • 市制百年長崎年表編さん委員会 編(1989)『市制百年長崎年表』長崎市
  • 布袋厚(2020)『復元!被爆直前の長崎 : 原爆で消えた1945年8月8日の地図』長崎文献社
  • 鮫島盛隆 編(1973)『鎮西学院九十年史』鎮西学院
  • 鎮西学院 編(1981)『鎮西学院百年史』鎮西学院
  • 鎮西学院(1991)『鎮西学院110年の歩み : 1881-1991』鎮西学院創立110周年記念事業部
  • 原爆投下当時在校生記録誌編集委員会 編(2011)『あの日僕らの夢が消えた:旧制鎮西学院中学校原爆投下当時在校生名簿・被爆記録誌:創立130周年記念事業』鎮西学院

Webサイト

  • 「私の被爆ノート 少女の皮膚はがれ風に揺れ」長崎新聞,https://www.nagasaki-np.co.jp/hibaku_note/3124/(参照 2022-07-20)

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